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ものがたり在宅塾2013 第2回 「最期まで暮らす」

ものがたり在宅塾2013 第2回 2013/9/16 般若農業改善センター

 

「最期まで暮らす ~富山型デイサービスの実践~
惣万 佳代子氏(NPO法人このゆびとーまれ理事長

  

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 人とほかの動物との違いは何か。人にはユーモアがある。そして親の介護をすることだと考える。  
 富山型デイサービス「このゆびとーまれ」は平成5年(1993年)7月に誕生した。理念は「だれもが、地域で、ともに暮らす」。赤ちゃんからお年寄りまで、障がいのある人もみな受け入れている。同じタイプだけの集団は異様に映るだろう。豊かな人間関係の中で人は育ち、喜びは大きく、一人ひとりが輝く。お年寄りは赤ちゃんの顔を見ただけで笑顔になる。みんなが一つ屋根の下で過ごすのは日本の文化。特別なことではなく、普通のことをしている。

 

 

■拠点は住宅街。地域の介護力も向上

 富山赤十字病院で20年間、看護師をしていた。入院していたおばあちゃんが「自分の家なのにどうして帰れんがけ。畳の上で死にたいのに死ねんがけ。これがわしの運命ながけ」と話すのを聞いた。お年寄りを日中預かることで在宅療養を支援し、その家族も助けることができると考えて仲間3人で立ち上げた。
 最初の利用者は3歳の障害児だった。母親が「この子が生まれてから一度も美容院に行っていないので預かってもらってパーマをあてにいきたい」とテレビの取材に答えたのに驚かされた。わたしたちも利用者はお年寄りであると思い込んでいた。ほかにもニーズがあることに気づかされた。

130916_2 利用者10~20人の小規模な施設である。主な活動は在宅サービス。活動の拠点は住宅街であり、地域の人たちを巻き込んで活動している。
 利用者に一人ぐらしのおばあちゃんがいた。普段の様子を知るご近所の人は施設に入所したほうがよいと考えていたが、わたしたちがサポートして在宅で過ごした。すると住民の意識も変化し、おばあちゃんを気遣って積極的に手助けするようになった。ご近所の数人が声を掛けて少し支えるだけでお年寄りが自宅で暮らすことができるのだ。
 ボランティアを受け入れている。第三者の目が入ることで活動の質を保つことにもつながる。
 富山型デイサービスは「小規模多機能型居宅介護サービス」として2006年10月に制度化された。現在は県内に約95カ所ある。

  

 

■看取りについての考え方。誰のための最善か

 わたしたちは利用者本人と家族が希望すれば看取りまで行っている。
▽どんな死に方を望むか、本人・家族・医師・管理者・職員で話し合う。
 症状が変化した時など、その都度今後の対応について話し合って確認している。
▽救急車は呼ばない。苦痛が強い場合は希望により決定する。
▽心臓マッサージはしない。本人にとってつらいから。
▽治療は最低限。最後まで口から食べてもらうのが基本。酸素吸入はできるだけしない。
▽なるべく畳の上で過ごしてもらう。家族がそばで寝泊まりできる。ベッドからの転落を心配しなくてよい。
▽「最善」とは誰のための最善なのかを考えている。

 

 

■“死にがいのある”町づくりを

 看護師時代には患者が死んでも泣くなと教えられた。わたしたちのスタッフは泣く。親身に関わったなら涙が出るのが自然だと思う。
 生まれ育ち暮らした地域で死んでいくことができる、“死にがいのある”町づくりを進めたい。自宅で死ぬ人が少なくなり、子どもたちが死を身近に感じなくなっている。お年寄り介護し、看取る経験は、自分の命を大切にすることにもつながると思う。身近な死のありがたさを感じる町づくりをしたい。

 開設から20年、これまで2つの言葉に支えられてきた。ひとつは赤十字の理念である「あすの100人を救うより今日の1人を救え」。目の前の1人を支えるために活動するのが使命だと考えている。わたしたちNPOは制度があるからではなく、町にニーズがあるから活動する。制度はあとからついてくる。あしたの100人を救う役割は行政に期待している。条例を変えるなどして多くの人を救うことができる。
 ケネディ大統領の「国があなたのために何をしてくれるのではなく、あなたが国のために何ができるかを考えてほしい」との言葉も好き。富山のため日本のために今のわたしができるのは毎日の積み重ねしかない。このゆびとーまれを利用してくれる人に安全に楽しく暮らしてもらうことだ。国民の一人ひとりができることを行動に移せば、きっと住みやすい日本になると信じている。