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消えていく歴史

 シベリアで抑留生活を経験した94歳のMさんが息を引き取った。男らしいというか、潔いというか、見事な死だった。立ち会ったスタッフの実感である。「やっぱり男にとって軍隊生活って必要じゃない。韓国の男のかっこ良さというのも徴兵制があるからかね」。「もっとゆっくり話を聞きたかったね」。

 Mさんは、家族にもシベリアの話を話さなかったという。戦後、満州から酷寒の地に抑留されたのは60万人。シベリア開発の労働力として、白樺の木々を伐採し、鉄道線路を敷くものだが、黒パンひとつに、薄いスープ一杯で酷使された。6万人が寒さと飢えで亡くなっている。引き揚げてきても、共産思想にかぶれているのではないか、と白眼視された。Mさんもこれはという仕事に就いたのは40歳の時からである。どれほどの悔しい思いがおおいかぶさっていたか。多分、そのことを口にしたら、自分が壊れてしまうのではないか、と思っていたのかも知れない。

 「それでも、いい家族さんだったね」。「孫が病院では見せない笑顔を、この部屋で見せてくれたと喜ばれた時は、うれしかったな」。「庭の盆栽の手入れも好きだったらしいね」。

「でも、胸が張り裂けそうな記憶をしまいこんで、生活されていたと思うと、悲しい気持になるね」。

「平和はだらしない男しか育まんけど、我慢しようよ。でも、シベリアのことは誰も知らないようになるね」。

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大地震

 「ここで地震が起きたら、どうなる。みんな運び出せるかしら?」。スタッフルームの話題もいつしかそんな会話になる。それにしても、とんでもない災害が起きてしまったものだ。死者・行方不明が3万人に達しようとしている。そして、避難所で亡くなる高齢者も数えきれない。地震、津波、原発の放射能漏れ。果たして、この砺波で予想される災害は何か。

まず地震だけど、ここだけは安全ということはないからね。でも「ものがたりの郷」は新築したばかりで耐震構造は万全と聞いているし、火災は最新のスプリンクラーが設置されているから、大事にはいたらないという話よ。それよりも、庄川堤防決壊による洪水の可能性が高いのでは。津波みたいにはならないけど、鉄砲水ということはあるよ。とにかくもの凄い勢いでくるらしい。

ところで誰が一番頼りになるかね。口だけの副理事長はダメね、電話しても二日酔いで出て行けない、ということも考えられるしね。

 「私達に出きることは、きょうの仕事を頑張ることしかないのよね」。それが結論か、もらったケーキがあるから、それを食べてからにしない。

「このダラども!この有事に何のんびりしている。東北のことを考えてみろ!」(副理事長)。


涅槃団子

 お釈迦さんの命日である2月15日に涅槃団子が作られる。お寺の本堂で、お参りに集った善男善女に向けて、袈裟をまとった住職が法事のあとにばら撒く。これを拾って持ち帰り、家族でそれぞれ口にすると、一年の無病息災が約束される。涅槃団子を毛糸にくるんで、子供のランドセルにぶら下げてお守りにする家も多い。

 その涅槃団子が回りに回って、ものがたりの郷談話室にもやってきた。「これはやはり、最も信心深いMさんにおすそ分けしよう」と一致した。ベッドの傍には、名僧の本が必ずある。お寺との関係も大事にされている。病を得ても乱れを見せないのは、そんな信心のお陰かなと思っている。
 「あたわり」というのは富山弁だが、お釈迦さんの教えをよく表現している。運命づけられている、という意味。生もあたわりなら、死もまたあたわり。「なーん、みんなあたわりながやちゃ」としばしば煙に巻いてしまうが、この心地いい響きは、越中真宗門徒のこころの響きといっていい。自分ではどうしようもないことは、悩まずに受け入れてしまう。そして、とにかく前を見る。Mさんの到達したい悟りというのはこんなものかなと想像している。
 焼いたばかりの涅槃団子を口に放り込んで、はたと思う。生まれてくることも、死んでいくことも、自分でままならないのに、他のことが自分の意のままになるわけがない。まさにその通りではないか。われわれも、つまらないことで悩んでいないで、「あたわり」を合言葉に励まないわけにはいかないのだ。

 ところで、「生老病死」「四苦八苦」を講演の枕詞で使うわが理事長は、医師にして仏教信者か否か、今度聞いてみよう。


女性起業家

 見学が絶えない。押しかけ同然であるが、無碍にするわけにはいかない。少しでも医療福祉の向上につながればいい、という理事長方針でもある。
 いま岐阜・白川郷にいるのですが、明日午後に行きたいとメールをして来たのは、熊本の女性起業家である。25歳で地方銀行を辞めて、パソコンスクールを開いた。現在49歳だが、アロマ、気功、断食道場、化粧品開発と次々と展開している。自社ビルを持ち、無借金を貫いている。2月、8月は社長の充電と称して、海外、国内とちょっと気になる情報があれば、自分の眼で確かめに出かけている。ナラティブ情報も、母が目にしていた雑誌で目にして、これは、と思ったらしい。自他共に魔女ということになっている。
 しきりにメモをする。彼女の頭は、自分ならどうする、どの人脈を使うか、ポイントはここだな、と目まぐるしく回転しているのだ。そして、質問してみた。あなたのナラティブホームはどんなものになりますか。
 やはり熊本でやります。まず自分の人脈で医師もいますから、協力してくれる医師を探します。看護も、介護もアロマ人脈で大丈夫。夫が不動産はやっているので、アパート経営に乗り出すところは夫に任せることに。特徴は鍼灸、有機野菜、ヒーリングなどの代替医療をくっつけて、全国から入居者を集めるようにします。現在、南麻布に事務所を持っているし、化粧品の代理店が全国に出来つつあるので、そのネットワークが生きて来る。
果たして数年後、熊本ナラティブホームができているかどうか。楽しみである。


計算尺

 ナラティブの基本は「聞く」ことにあるのではないか。最近そう痛感している。これが意外に難しい。傾聴する側の気持の問題である。次の仕事が待っているのにという素振りをみせると、すぐに見抜かれてしまう。心から聞いていますよということが相手にわからないと、話す気にはなれないのは当然である。さりとて、この人だけに構っていては仕事にならない。介護の仕事の難しさで、容易に解決できるものではないが、心がけひとつで何とかなることもある。 一方で、相槌(あいづち)の打ち方ひとつで話が弾むという時は素直にうれしい。
 大正12年生まれのTさんは元国鉄マン。週刊朝日を購読するインテリでもある。男は概してプライドが高い。認知症の兆しはあるが、得意の話となると背筋がぴんとして、声に張りも出てくる。昭和30年代の北陸線の電化工事に携わった時である。先進の東海道線に学びに行くグループに選ばれた。東京での数ヶ月にわたる研修だが、出身の高岡工芸高校での基礎知識が生きたのである。いまではパソコンだが、当時は計算尺。これが得意なのである。計算尺の全国大会が開催されたりもしていた。一度、家にある古い計算尺を探し出して、持ってこなくてはならない。


長谷川式認知症診断テスト

「すごい!満点ですよ。もっと若ければ、東大合格間違いなし」「何言うとっがいね。今したこと、もう忘れとっがいぜ」。自分が認知症になったら、どうしよう。こんな不安に押しつぶれそうということで、任意後見が可能かどうか、司法書士にお願いした。この司法書士から、認知症の診断が必要ということで、長谷川式認知症診断テストを受けてもらったのである。その結果が満点。司法書士から、私の出る幕ではありませんと笑って帰られてしまった。

 Hさんは旦那さんも亡くし、姉妹も高齢ということもあり、実質的に自分しか頼れないと思っている。そんなこともあり、心配は尽きない。心配するだけの能力があり余っているといっていいかもしれない。地頭がいいのである。認知症の患者数は200万人を超えるといわれる。この対策こそ大きな課題であり、きめ細かな対策が求められている。

 ちなみに30点満点で、20点以上が異常なし。16~19点が疑いあり。11~15点が中程度の認知症。5~10点がやや高度の認知症。0~4点が高度となる。


言葉が出て来ない

 「ものがたりの郷」の第1号入居者の男性Kさんは、筋萎縮性側索硬化症(ALS)を患っている。10万人にひとりといわれ、手足・のど・舌の筋肉や呼吸に必要な筋肉がだんだんやせて力がなくなっていく病気だ。75歳だが、通常の生活ではいつも笑顔で、快活そうに見える。女性スタッフには冗談もいって、決して弱音をはかない。心を許すのは、男性看護師のO君。男同士ということもあり、「君はこんな病気にかかってないから」と時に厳しいこともいう。O君の悩みは、慰めの言葉を捜すのだが、どれも安っぽく、嘘っぽく、言葉が出て来ないこと。
 1月3日、娘さん一家がやってきて外食に出かけることになっていた。いつもの紙パンツを布のものに履き替えて、弾んでいるのがよくわかる。パンツの位置もほぼ腰骨の数センチ上と決まっているのだ。元国鉄マンだけに几帳面でもある。ニコニコと手を振って出かけたのはよかったが、ちょいと好きな酒を呑みすぎたのか、トイレが間に合わなくなり失禁してしまった。せっかくの外出が惨めなものになってしまったのである。帰ってきてから、O君が世話をしたのだが、やはり言葉が出てこなかった。
 昨秋、好物の鮎で一杯やろうとスタッフ5人と居酒屋に繰り込んだ。両手で冷酒を拝むように何杯もお代わりをして、スタッフの心配をよそに酩酊寸前までいったしまった。この時もそうだったのだが、スタッフという安心感からか落ち込むことはなかった。家族というと、やはり惨めなところをみせたくないという自分の矜持というものが複雑にからむようだ。
 ナラティブホームの原点は、言葉だけではないコミュニケーション能力、いわば深い人間力を身につけないといけない、とO君は悩みつつ、成長を期している。

 

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クリスマスパーティー

 大阪商人も宵越しの金は残さない。きょうはミナミ、あしたはキタ、いや京都・木屋町の茶屋遊びまで、粋な遊びをやってきた。そんな粋を身に付けている小柄でダンディなSさんは82歳。ナラティブから定期的な訪問診療、訪問看護、訪問介護の契約をいただいている。

 

 戦後の混乱期を腕一本でくぐり抜けてきた。みんなが裸一貫で横一線。商売にプロもアマもない。今日を生きるのに精一杯だから、これはと思ったことはすべてやってきた。小さな小商いなら、スーパーへ。それが3店舗となり、売り上げは急上昇。しかし、勢いだけでは商売は続かない。経営の勉強などしたことがないから、労務管理とかマネジメントが付いていかない。「スーパーからニワトリの養鶏まで手をひろげましたがな。おもしろかった。いい時代でしたがな」と笑顔での回想談である。
 大阪の店をそれぞれに譲って、奥さんの出身地である砺波で余生を過ごそうと住宅を求めたが、その矢先、奥さんが病に倒れた。最初は「ものがたりの郷」に入居されたが、居住性などを考えられて、今は、愛妻と「ちゅーりっぷの郷」に住んでいる。
 そんなSさんから、大きなケーキを買うから、クリスマスパーティをやろう、と声がかかった。12月18日、われらが談話室に特製手作りの鍋料理を並べてのパーティとなった。入居の方、家族、わがスタッフの子供達でにぎやかさでは他に負けていない。ここは病院、施設ではないので、ビール、吟醸酒なども取り揃えてる。
 Sさんのあいさつ。「ほんとうにここに来てよかった。心からみなさんにありがとうといいたい。」
 
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