13.02.28

市民公開編「在宅での看取り」のレポート

ものがたり在宅塾 市民公開編 第7回 2013/1/23

 

在宅での看取り

佐藤伸彦氏(医療法人社団 ナラティブホーム理事長)

 

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 日本の平均寿命は男性79歳、女性86歳まで伸びた。65歳以上の高齢者は3000万人を突破し、総人口の24.1%を占める。団塊の世代が65歳に差し掛かっており、毎年100万人ずつ増えている。超高齢社会はこれからだ。高齢の独居や夫婦や親子がともに高齢の家族がさらに増えることになる。

 現在は病院で死亡する人が9割で在宅での死亡者は残る10%前後だ。1960年(昭和35年)には病院での死亡は2割ほどだったが、その後急増して1977年(昭和52年)に在宅での死亡数を上回った。要因としては、医療の発展、女性の社会進出による在宅介護者の減少、在宅療養に向かない住宅の狭さなどが挙げられる。

  

超高齢社会は多死社会

 高齢者が爆発的に増えると同時に多く人が亡くなる多死社会が到来する。すると病院だけでは看取りをさばき切れなくなる。病院や介護施設の病床数は医療費にまわす国の財源がないため増やせない。このままでいくと2040年には約49万人分の看取りの場所が不足する。国はこれを在宅でカバーしたいと考えている。

 山形県で作成されたデータによると、自宅での死亡率は東京都で上昇、山形で減少傾向にある。理由のひとつに東京で死者の実数が大幅に増えていることが挙げられる。子供が故郷から親を呼び寄せるなどして都会では高齢者が増えている。それに対応するサービスも充実しており、個室老人ホームやサービス付き高齢者住宅など自宅として扱われる施設での死亡者も多いと思われる。暮らしてきた家で亡くなっているわけではない。

 2010年の人口動態統計によると、自宅死亡率の全国平均は12.6%。富山は11.1%だった。宮城、東京、千葉、神奈川や近畿で高く、九州で低かった。

 

治す医学からナラティブ・ベースド・メディスンへ

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 医療は科学ではなく社会的実践行為であると考える。人間の身体の仕組みを解明し、病気の原因を特定するのは医学(科学)である。しかし、そこから先は科学ではありえない。医学でやれることをすべてやれば患者は幸せなのか、科学の力で人間の限界を超えてもよいのか、という問題がつきまとう。このような疑問は「いのち」の始まりと終わりに関わる生殖医療や臓器移植、終末期医療などで顕著に立ち現れてくる。

 治す医学からのパラダイムシフトが起こっている。人は必ず死ぬ。しかし、治せない・治らない状況でも患者のために出来ることは多くある。だからこそ終末期医療は高度専門医療であるとわたしは思う。

 治すことを目的とした医療(根拠のある医療)から変化して行き着いた医療のあり方のひとつが「ナラティブ・ベースド・メディスン(Narrative-based Medicine)」だ。ナラティブとはナレーター、ナレーションの語源であり、「もの語り」「語る」の意味。人間のさまざま行為や関係を言葉・語り・物語という視点から捉え直し、人生は一つの物語であると考えて患者と向き合う医療である。病気は人の一側面でしかなく、すべてを理解したような感覚は医師のおごりである。

 終末期の患者が「春になったら田んぼをしなければならないので家に帰る」と言う。無理な話ではあるが心情はよく分かる。世の中は混沌としており理屈だけでは割り切れない。物語としての一貫性を見いだした時にわたしたちは事態を理解したと感じることができる。

 
 
■看取りを支えるのが役目
 物語としての死は究極の妥協であると考えている。「尊厳死」「満足死」「平穏死」など理想の死を表現する言葉は多いが、それが可能かといえば、認知症になる患者も多くて簡単なものではない。また、たとえ患者が高齢であっても家族が死を喜んで受け入れることはできない。医療者としては「いろいろあったけれど、さほど悪い人生でもなかった」と思える死を迎えてほしいと思って携わっている。現代の医学が見えなくさせてしまった人としての最期の時間を大切にし、人生の最期を生き切る手助けをしたい。
 看取るのは家族をはじめ患者本人と関係性のある人だ。わたしたち医療者がなすべきは「看取りの援助する」「看取りを支える」ことだと考えている。人生の物語の最期の数ページ、あるいは数行にちょっと関わるだけだ。しかし大事な役目である。
 家族は延命措置をすべきか否か葛藤するかもしれない。しかし、物語はいつかエンディングを迎える。死は特別なことではない。どういう最期になるのかは誰も分からないし、人は生きてきたようにしか死んでいけない。生き様は死に様である。看取る側は患者のために何を為したかではなく、何を為そうとしたかを思えばよい。
 それぞれが何処で死ぬかを選べる時代になってほしい。しかし介護力は家庭によって異なる。わたしたちは病院・施設でも自宅でもない第三の終の住処として「ナラティブホーム」を運営している。患者と家族の安心感・負担減・自由度・生活感に配慮し、「ここでもよい」と思ってもらえる場所を目指している。入所者には、認知症で緩和ケア病棟に入れないがん患者や非がん疾患の末期患者らほかに行き場のない高齢者も少なくない。現在15室あり、1年で約30人が亡くなる。平均入所期間は約2カ月。人への物語的な理解と、医学・物語の2項バランスをとることを理念に掲げ、以下をモットーにしている。
 
 
そこには人生の最終章を
家族と伴に
ゆっくりと、安心して過ごせる
空間がある
ただ傍らに在り、温もりを感じ
声なき声を聴け
ケアの原点は
心象の絆の中にある
 
 
 超高齢社会での看取りは社会的な課題になっていく。医師だけではなく、みなさん自身にも考えていただきたい。人生の最期をどこで迎えるかはみなさんの価値観によって異なるだろうが、それを支えられる医療になっていかなければならないと思う。