消えていく歴史

 シベリアで抑留生活を経験した94歳のMさんが息を引き取った。男らしいというか、潔いというか、見事な死だった。立ち会ったスタッフの実感である。「やっぱり男にとって軍隊生活って必要じゃない。韓国の男のかっこ良さというのも徴兵制があるからかね」。「もっとゆっくり話を聞きたかったね」。

 Mさんは、家族にもシベリアの話を話さなかったという。戦後、満州から酷寒の地に抑留されたのは60万人。シベリア開発の労働力として、白樺の木々を伐採し、鉄道線路を敷くものだが、黒パンひとつに、薄いスープ一杯で酷使された。6万人が寒さと飢えで亡くなっている。引き揚げてきても、共産思想にかぶれているのではないか、と白眼視された。Mさんもこれはという仕事に就いたのは40歳の時からである。どれほどの悔しい思いがおおいかぶさっていたか。多分、そのことを口にしたら、自分が壊れてしまうのではないか、と思っていたのかも知れない。

 「それでも、いい家族さんだったね」。「孫が病院では見せない笑顔を、この部屋で見せてくれたと喜ばれた時は、うれしかったな」。「庭の盆栽の手入れも好きだったらしいね」。

「でも、胸が張り裂けそうな記憶をしまいこんで、生活されていたと思うと、悲しい気持になるね」。

「平和はだらしない男しか育まんけど、我慢しようよ。でも、シベリアのことは誰も知らないようになるね」。

 tyuripu