記念撮影

 談話室のドアを開けると、そこはお花畑となっていた。ありたけの花瓶にコスモスがあふれんばかりに投げ込まれ、ススキもバランスよく配されている。部屋隅の畳2枚の上には金屏風が一双立てられ、あっという間に舞台ができあがっていた。これがナラティブホームの唯一誇れる得意技である。

 いきさつはこうである。瞬発力が取り柄の職員がいる。これだと思う、ともう走り出すタイプで止めようがない。彼女が夜間待機の時であった。訪問看護に訪れた「ものがたりの郷」入居のKさんとつい話し込んだ。Kさんはガン末期である。年齢もそう違わないので、他人事と思えない。「こんな状態だと、娘の花嫁姿を見られないかもしれないね」と落ち込んだ様子の声に、瞬発力に火が付いた。その日のために既に出来上がっていた振袖を娘さんに着てもらって記念撮影をしましょう、となったわけである。それも今夜である。バトンは次々渡され、ひとりはコスモスに、ひとりはススキに、そしてひとりは親戚がやっている建具屋に金屏風を借りに走り出したのである。

 旦那さん、息子、娘の一家全員が揃う午後8時に撮影するとなったが、素人写真ではやはり心もとないと、プロの写真家にお願いすることになった。みんなお腹が空くだろうからと、新米の炊きたてと肉じゃがが用意されたことはいうまでもない。

 こんなやり取りを聞いていて、ふと「自分にあたわった丁度いい人生」という冊子を遺して逝った友人の一節が思い出された。「せめて子供たちが結婚するまで、いてあげたかった」「世間知らずの夫は私がいなくなったら困るだろう」との思いこそ、不遜なこと。自力のはからいにとらわれている証拠。自分がいなくなっても、みんな自分にあたわった、ちょうどいい人生をちゃんと歩んでいくことでしょう、というもの。
  「あたわり」というのは富山弁で、運命づけられたこと、あるいは、宿命の、という意である。この心地いい響きは、越中真宗門徒のこころの響きともいえる。

 ところで、わがスタッフは、ここまで思いがいたるか、どうか。

 

 

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