満足死ー食べること

 在宅ホスピスの宿命ともいえるが、もう少し生きてもらえれば、こんなこともしてあげることができたのにと悔しい思いをすることが多い。しかし、昭和6年生まれで、81歳のKおばあさんはちょっと違う。食べることの貪欲さは人並みはずれで強かったが、その食欲の8割は満たして逝かれたのではないかと思われる。

 「あーうまかった。満足満足」という声が聞こえそうだった。亡くなる2日前まで、寿司、ラーメン、餅、せんべい、スナック菓子と食べ、妹さんに催促した黒豆汁をおいしそうに啜った。消化器の病気で誤嚥の危険性があり控えなければならないのだが、本人はあれが食べたい、これが食べたいと小さい声だがはっきりと口に出す。病院ではないので、本人が希望されて、家族も承知であれば、いいでしょうとなったのだが、娘さん2人もそうだが、親戚の多くの方がそれぞれの思いを込めて口に運んであげた。看護師は吸痰に苦労したが、これほどうれしい表情を見ると、苦労には思えなくなる。「ものがたりの郷」での語り草になる死に方になるのは間違いない。

 思えば、人類が誕生したのは180年前のアフリカ、恐らく木の実ぐらいしか食べていなかったのだと思う。それがいまや70億の人口である。食べ物がその地その地で開発され、生産されたからこそ命を紡ぎあえてこれたのである。そう思うと食べることをもっと厳粛に考えなければならない。辺見庸という作家が書いた「もの食う人びと」を昔に読んだことがあるが、アジアの貧民窟で、食べ残しのご飯を食べて、必死に吐き出している一節があったのを思い出した。食中毒を覚悟で食べ、多くの命が落とされて、今日の食物が出来あがっていることも時に思い出さなければならない。介護の中心に「食べる」をおくべ期だと思う。(K)