こころを看取る

 「世の中で一番楽しく立派なことは、一生涯を貫く仕事をもつこと」とは、福沢諭吉の名言である。カリスマ訪問看護師と呼ばれる押川真喜子さんの「こころを看取る」(文藝春秋刊)を読むと、この名言通りの人だなと思う。その社会人第一歩は東京・板橋の保健師だった。その慣れない時に、連れ合いがALS(筋萎縮性側索硬化症)だという奥さんから「入院先の主人を連れて家に帰りたい」という相談を受ける。ここが人の運命の別れ目というのか、宮崎出身の素朴さが困っている人を助けないでどうするとなる。もちろん職場の多くが反対するが、無謀にも引き受ける。この無謀さを否定したら、何にも始まらない。臆病を装う看護師、介護士たちよ!無謀こそ新しい天地を切り拓くのだ。1983年のことだから、訪問看護制度もなく、在宅人工呼吸療法の保険適用もなく、すべてが手探り。往診してくれる医師までも探さなければならなかった。

 それから何と28年間の在宅療養生活が続いたのである。孫娘の成人式姿を見るのが夢だったが、叶わなかった。しかし77歳まで生き抜いた満足感は本人もそうだが、家族も思い残すことはなかった。そんな経験をもとに、92年聖路加国際病院が全個室で新病院に移るときに、押川さんが責任者となって訪問看護科を立ち上げた。まだ訪問看護って何するところという認識である。スタートぐらいのんびりやろうと思っていたのだ。現在1日の訪問件数が7回が採算分岐点といわれているが、2~3回で良しとしていた。そこへ、あの日野原重明院長からお呼びがかかった。「押川さん、あなたの部署は一体どれぐらいの収益を上げているかわかっていますか?」と詰問されたのである。あの虫も殺さぬ、優しい口調で、損益を頭に入れているのですか、このまま赤字を垂れ流すのですか、と問いかけられたのである。訪問看護はいいことを頑張っているのだから、経営のことなんかと甘えていいのですか、というわけである。日野原さんのアメリカ流合理主義はあまり知られていないが、実に抜け目がないのである。ただのお人好しでは、ここまでやってこれない。押川訪問看護科長ははっと悟ったはずである。頭の回転というか、勘は鋭い。すぐに行動である。すべての診療科を回って営業をしたのである。特に各科の忘年会には必ず参加することはもちろん、訪問看護科でもすべての診療科に招待状を送り、盛大に奇抜な忘年会を企画し、アピールした。すべてがそうであるが、良い品質だからと手をこまねいていたら、長くは続かない。医療も看護も福祉も、いい意味での経営感覚は不可欠である。

 論が外れてしまったが、押川さんの例を出すまでもなく、看護師、介護士主導で在宅療養が広がっていくのである。そして、押川さんは特別ではなく、どこにでもいる看護師さんなのである。自宅で看取りたいという声に寄り添うことで、在宅療養が実現できるのだ。ぜひ読んでほしい。オランダのビュートゾルフを超える日本式の理想形ができるはずである。なによりも自宅で、地域で生命を全うしたいという声が、つまらない官僚主義に立ち向かうことは間違いない。小さな声に寄り添うあなたを全力を挙げて支えるはずである。そうでなくても、挑んだことは一粒の麦となって引き継がれる。そう信じていこう。在宅の夜明けは近い。そしてまた、家族が怯えても、「慌てずに、救急車を呼ばずに、わたしたちを信じて、連絡して欲しい」といってほしい。在宅で希望する家族にも、この本はぜひ、読んでほしい。(K)