13.12.20

ものがたり在宅塾2013 第4回 「人生の終わりに向かって」

ものがたり在宅塾2013 第4回 2013/11/18 般若農業改善センター

 

「人生の終わりに向かって ~元気なうちから考えておくこと~」 
清水哲郎氏
131220_1(東京大学大学院 人文社会系研究科教授)

  

 日本老年医学会が昨年公表した「高齢者ケアの意思決定プロセスに関するガイドライン」の作成に関わった。医療ケア関係者向けに主に人工的水分・栄養補給の導入について示したものだ。意思決定は「みんなで一緒に決める」、医療は「人生のために生命を支える」という2つの考えを示しており、今回はこれについて述べたい。

 

 

■死生観/人生のために生命を支える/人生>生命

 人のいのちには二重の見方がある。「人生」と「生命」、言い換えると“物語られるいのち”と“生物学的生命”だ。生命はよき人生をおくるための土台。土台である生命を整えるのが医療の役割だと考える。
 物語られるいのちの生活の質(QOL)を高めるには、生命・体のこと以外にも、心理的・社会的な因子、生活環境全体が関わってくる。体が不自由であってもバリアフリー化をはじめ環境を整えることで質は高められる。
 ケアの目標は「人生にとっての最善」。よい人生とはなにか。患者本人が「生きていてよかった」と満足できるかどうかが指標になると思う。その人の人生に注目し、なにが最善かを考えなければならない。
 患者が高齢者の場合、ケアの目的が「長生き」だけになってはいけない。問われるのは中身だ。最優先される目的は「快適な生活」。苦痛がなく、楽に過ごせることに加え、残っている能力を発揮する機会があるとよい。働く、趣味を楽しむ、胃ろうをしていても味わっておいしいと感じられるなら少し食べさせてあげたらよい。最低でも快適な状態を目指し、それを長く保つことができたらさらに良いという順番になる。

 

 

■みんなで一緒に決めましょう

 終末期の対応について、「みんなで一緒に決める」という共同の意思決定プロセスをガイドラインで示した。医療・ケアチームが生物学的・一般的な価値観による最善の判断を説明し、本人と家族は物語的な個々の価値観、生き方、事情を説明する。そのうえで双方が合意し、患者に合わせた最善を目指す個別の判断がなされるという流れ。
 患者本人が決める「自己決定」を否定するものではない。しかし、本人だけでは決められないという実情がある。認知症など本人の状態、世話をする家族の都合をはじめさまざまな理由で本人だけで決めるのは難しい。本人の生き方を尊重するには、その人生と生き方を理解したうえで話し合って決めるのが最もよい。これは本人の選択・意向を守ればよいというものではない。

 

 


131220_2■医学的判断と人生の観点/
 本人の人生を考える医療のプロセス

 患者本人と家族向けの意思決定プロセスノート「高齢者ケアと人工栄養を考える」を作成した。佐藤先生にもアドバイザーとして協力してもらい、口から食べられなくなった時にどうするか、今のうちに考えておくべきことはなにか、その考え方の筋道を提案した。
 胃ろうへの賛否がメディアをにぎわすようになった。一方的に良し悪しを決めることはできない。人工栄養は手段でしかない。うまく使えるかどうかにかかってくる。胃ろう自体ではなく、それによる延命措置の是非が問われていることは押さえておきたい。
 医師からの最初の説明が不十分だと、最悪の選択を招きかねない。胃ろうはよくないとの先入観をもつ患者の家族が、それでも死なせるのは忍びないと思い、経鼻経管栄養を選んだケースがある。経鼻経管は患者にとってつらく、目的が同じならば胃ろうのほうが望ましい。

 

◇医師はなにを説明し、家族はなにを説明してもらえばよいのか。
 まずは本当に口からは食べられないのかを確認したい。工夫をすればまだ食べられるのか・食べられないのか。そのうえで、人工的な栄養補給によって生命を維持できるのかどうかを検討する。生命を維持できないなら栄養補給の措置をしない。どれだけ生きられるのかという期間の長さだけで判断するのはよくない。
 人工栄養によって生命維持ができるならば、どんな生活になるのかを考えたい。なにができるのか、どういう状態で過ごすのか、本人は満足するだろうか。

 

◇家族の情
 「このまま死なせるのは忍びない」という家族の情ははたらくだろう。しかし、それ以上に本人にとってどうなのかが大事だ。本人にとって、どうするのが最善なのか考えたい。
・関係者みんなで話し合って合意を目指す
・本人の意向と本人にとっての最善を併せて考える
・本人の最善実現のために、家族の負担にも配慮する 以上がポイントになる。

 

◇本人の人生に注目する
 患者本人の人生に注目し、なにを目指すべきか考えなければならない。快適な生活と長生きの両立ができればよいが、長生きをあきらめなければいけない場合もありうる。前提として、本人の人生を理解するように努める。自分(本人)の人生全体を眺める(現状と今後の見通しを把握する)。自分(本人)の生き方・価値観を確認する、あるいは思いをはせる(来し方と現在、行く末それぞれに、大事にしてきたこと、一緒にいたい人たち、どう生きたいのかなどを考えてみる)、といった作業をしてほしい。

 

◇具体的な方法を考える
 目指すことが決まったら、具体的な方法を考える。「より長く+快適に」ならば胃ろうなど人工的栄養補給の方法を検討する。「快適に」だけが目的なら、人工的栄養補給はしない、あるいは水分補給・点滴はするという選択肢がある。本人にとってよりよいのはどちらか考えなければならない。

 

◇一度選んだら終わりではない。
 患者の状態変化に合わせて見直しが必要になる。口から食べられるようになるかもしれない。衰えが進んで栄養補給をやめる判断をしなければならない時がくるかもしれない。「もう死なせよう」としてやめるのではなく、本人にとってそのほうがよいという時期がくるかもしれない。本人の人生にとって最善になるように考え、「人生をまっとうする」こと支える意識をもちたい。

 

 

■本人の状態に応じて選ぶ治療・ケアは変動する

 喉頭がんの根治手術が可能だが、声帯をとり永久気管孔での生活になるというケースについて考えてみたい。術後の困難を考えると、放射線治療や緩和的対応という選択肢もありうる。手術するかしないかを判断する境界はどこにあるのだろうか。術後の辛さを克服して充実した人生になるかどうか。どんな選択するにせよ、不確定な要素は多い。よって、患者本人の人生についての考え、価値観が大事になる。
 このように長生きと快適な生活の完全な両立が難しいケースはある。長生きのために快適さをどこまで犠牲にできるのか、失われる快適さと残る快適さはなにか、リハビリはどこまで可能か、といったメリット・デメリットのアセスメントが必要になる。

 

 

■<本人の人生を支える>を実現するために

 人生の終わりの時期について今から考えておきたい。家族で話し合う/自分はどう生きたいのかをはっきりさせる/関係者の合意を目指し、合意に基づき選択する。以上を念頭に置きたい。少なくとも「快適に」を目指し、「より長く」を上乗せできればラッキーであるという考えが浸透するとよい。

 

 

【質疑応答】
Q:人工栄養をやめるという選択は法的にどう判断されるのか。
A:誰かが1人で決めるのではなくプロセスを踏むことが重要。
  みんなで納得してやったことが警察ざたにはならない。

 

Q:意思決定の際に医療関係者はどこまで本人・家族に対して関係性を発揮してよいのか。
A:医師が本人や家族のことをどれだけ理解しているか、が問われると思う。
  押し付けはいけないが、8割ぐらい理解したうえで「こっちがよいんじゃないか」と言うのはよいだろう。
  結局は本人や家族がどう思うか。
  助言が判断を左右することを恐れて医師がなかなか口を出せないのは理解できる。
  しかし、そこまで思いを巡らせられる気持ちをもってやっているのであれば
  助言したとしても大きくは間違えないだろう。