13.12.20

ものがたり在宅塾2013 第5回 「救命救急医療の現場で「終末期医療」を考える」

ものがたり在宅塾2013 第5回 2013/12/16 般若農業改善センター

 

131220_11救命救急医療の現場で

「終末期医療」を考える
 ~昔、今、そしてこれから~

伊東正太郎氏(市立砺波総合病院院長)

 終末期医療はみなさんにとっても医療者にとっても難しくて重要な問題である。がん患者、救急医療、脳病変、在宅療養の4つの現場から事例を紹介する。こういう問題があることを知っていてほしい。

 

 

■救命と延命の線引きは困難

 がん患者には死が近いことを知り、残りの生活をどう生きるか考える時間がある。本人、家族にも死を受け入れる心の準備ができる。延命治療をせず最後まで仕事をして亡くなったある患者は「がんでよかった」と言い残したそうだ。
 しかし、わたしの専門である外科をはじめ救命救急の現場は違う。患者の情報が少なく、時間的な余裕もない。本人も意思表示ができない。救わなくてもよい命はないから自殺しようとした人も運ばれてきたら救命する。処置を始めたら途中でやめることはできない。一人でも多くの命を救いたいが、医学にも限界がある。しかし、家族はパニックになっており、医師の説明を理解できず状況を受け入れられないことが少なくない。
 がんで死期が近い人が交通事故に遭って運び込まれても死んでよいわけではない。もし覚悟を決めていたとしても、救命救急で人工呼吸器をつけられると死ぬまで外せなくなる。延命を望まずに人工呼吸器を拒否することはできるのに、一旦つけると外せない。がん終末期、認知症で寝たきり、老衰による終末期、神経性難病の患者への救急医療は、それが救命治療なのか、延命治療なのかの線引きが難しいという特殊性がある。

 

 

■救われる命とつらい後遺症/脳病変の最前線

 水(血液)は破壊的だ。脳は豆腐のように柔らかく、出血によって壊されてしまう。
 高齢者の脳は特に柔らかくて傷つきやすい。出血量によって救命の可能性や後遺症の有無が決まる。出血が多いと頭の中が圧迫されてすべてがやられてしまう。
 30代の人も脳卒中を発症することがある。外見は寝ているだけに見えるから家族からは助けてほしいと懇願される。家族も1週間ぐらいたつとようやく医師の説明を落ち着いて聞けるようになる。次第に冷静になり、死をも受け入れる準備ができる。
 ドラマ「巻子の言霊」は富山市の老夫婦の実話。妻が交通事故に遭い、意識はしっかりしているのにまぶたしか動かすことができない状態になった。会話機械を通じて意思表示はできるようになったが、看病する夫は妻が死ぬよりもつらい状態であろうと考えている。
 救急医療によって救われる命があるが、長くてつらい闘病生活が続くケースもある。そうなると介護する者の精神的、経済的な負担も大きい。懇願された家族が患者を殺してしまう嘱託殺人の事案があることから目をそらしてはいけないと思う。

 

 


131220_22■在宅療養と救命救急

 在宅での看取りを希望している患者の容態が悪化して救急車で運び込まれることがある。救命救急と終末期医療のバランスをとることは難しい。救急車を呼ぶ前に、かかりつけ医に相談するのがよいと思う。医療的な見地からどう対処したらよいかアドバイスしてもらえる。救急車を呼ぶなと言っているのではない。
 (佐藤医師)かかりつけ医の立場でも、救急車を呼ぶべきときは呼ぶ。こちらから総合病院に連絡をいれると、その後の医師との連携がスムーズになる。

 

 

【質疑応答】

Q:終末期の高齢者が病院に運ばれた場合、病院、医師によって
  延命措置などの対応にばらつきがあるように感じる。今後どのような方向に進んでいくのだろうか。
A:病院によってだけでなく、医師によっても考えが違う。病院から所属する医師に強制することはできない。
  現状では医師も迷っている。試行錯誤をしながら定まっていけばよいと思う。

 

Q:延命治療を望まないという意思を公正証書で残していても人工呼吸器をつけられると外せないのか。
A:外せない。米国では延命治療の打ち切りなどをリビングウイルで意思表示することが法的に認められているが、
  州ごとで対応は異なるようだ。意思表示をすることは大事だと思う。
 (佐藤医師)公正証書であっても延命治療を拒否できる法的な拘束力はない。
  日本では延命治療の定義すら決まっていない状況だ。
  リビングウイルやエンディングノートが注目されるようになってきたが、
  書いたとしても効力は限定的だ。
  ならば、まずは広く共有できる意思決定までのプロセスを浸透させようと、前回の清水先生らは活動している。