ものがたりスタッフBlog

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盛岡・中津川病院

 東北からの来訪である。盛岡にある中津川病院の松嶋院長と長村(おさむら)看護師で、在宅を中心とした地域医療を目指したいと駆けつけてくれた。松嶋さんは院長に就任して1年目、36歳の若さから、熱血院長と呼ばれている。院長はとんぼ返りだが、長村看護師は、ナラティブのすべてを吸収したいと、何と砺波アパホテルに一週間泊り込みである。
 若き院長は早速、見学記を自分のブログに書き込んでくれた。「佐藤先生をはじめ全スタッフの,やさしい医療を展開するという力強い情熱が,ビンビン伝わってきた。見学中,ぼくは武者震いを止めることができなかった」。

 身に余る賛辞だが、じっくりといい面も悪い面も見ることになった長村さんはちょっと違う。「やることはどこも一緒ですね。違いは東北弁と富山弁の差ぐらいですね」。震災でガソリンが無くなった時には、通勤もままならず泊り込んでやったのです。砺波も意外と遠くの在宅に出かけるので、ガソリン代も大変ですねと経営のコストまで心配してくれる。いいセンスである。全く知らないところに飛び込んで、一週間もみてやろうという気概は並大抵ではない。ちょっとした研修でも、二人でないと心細いというどこかのスタッフには、ぜひ見習って欲しいものだ。

 また一方で、高校3年生の受験生を抱えるお母さんでもあるが、育児はおばあちゃんに任せきりにせざるを得なかった分、思いは複雑で深い。震災の日は泊まりの日で、家に帰れなかった。息子は慌てることなく徒歩で20キロ近くを歩いて帰った。本好きの息子の部屋は大散乱していたがみんなで手伝って、ようやくの思いで片付けた。盛岡一高という進学校にいる息子は当然のように東京へ進学するという。残り少ない日々をどう過ごそうか、の思いも駆け巡っているが、思い出に残る出来事になることは間違いない。

 見学や研修と称して多くの来訪者があり、すぐに核心は何ですかと聞いたりされるが、人も違えば、地域事情も違うので、そのまま正解になるものはほとんどない。それよりもわき道にそれたり、世間話の中で、そういえばというヒントや思いつきがたくさんある。
長村さんは訪問看護で、独居老人の灯油の発注受け渡しなどの手伝いもやっている。盛岡の冬は長くて厳しい。「かあさんが夜なべをして手袋編んでくれた・・・」(K)


訪問看護

 医療福祉の世界は意外と狭く、情報があっという間にひろがる。しかも尾ひれがつくことがあり、言い訳ばかりする羽目になることが多い。
実は訪問看護ステーションを4月30日で休止することを決めた。訪問看護は在宅医療に欠かすことのできない存在で、それを休止にするとはどういうことだになる。訪問看護の仕事は医療保険対応と介護保険対応とに大別されるが、在宅末期を中心とするナラティブホームの場合は医療保険となる割合は非常に高い。平均が2対8とすれば、4対6ぐらいだ。

 この2年間ステーション形式でやってきたが、在宅末期の患者さんは病状の変化が待ったなしで起きるので、医師の指示命令書を文書で事前にやれというやり方では、なかなかに厳しい。加えて、これが一番大きい問題だが、文書情報が診療所と看護ステーションで別々になっており、患者さんの変化履歴が医師、看護師で共有できないという最大の欠点に悩まされてきた。

 この解決策として、ステーションを休止して、看護師を診療所付きにして、「みなし訪問看護」でやってみようとなったわけである。これだと医師の診療録(カルテ)に訪問看護の指示が記録され、看護師は看護記録として同一画面上で時系列に記載することになる。1年間休止して、このことを検証することにしたのである。患者さんに迷惑をかけることもなく、ちょっと収入的にマイナスとなるがこれはやむをえないと思っている。4月1日現在で看護スタッフは8人を数える。今まで以上に在宅医療でみなさんに貢献できることは間違いない。
休止をつぶれたと誤解する人もいて、大変なのだが、しばらくは辛抱強くこのことを伝えていかなければならない。読者のみなさんも是非、ご理解いただきたい。(K)


「カーネーション」

 女性が仕事に打ち込んで、生き生きしている。朝ドラ「カーネーション」もそうだが、見ていて実に気持ちがいい。その小原糸子に負けないAさんの話です。

 Aさんの仕事は町の写真屋さんである。戦後夫婦で立ち上げ、今年が60周年。夫に負けないくらいにAさんもシャッターを切ってきた。ものがたりの郷に入居されたのは昨年の10月で、83歳での癌末期だったが、誰が部屋に行っても愛想がよく、自分から話かける明るい人だった。日本昔話なんかも、いくつも覚えていて、孫に話すように話し出す。自然と笑顔になってきて、こうして子どものシャッターチャンスを作っていたのかとそのプロ根性に舌を巻いた。商売も積極的で、小さな井波から、砺波、高岡と3店舗を構え、娘さんがあとを継いでいる。ここでもカーネーションには負けてはいない。

 残念ながら、3月5日に亡くなられたが、娘さんふたりに手を握られて「ありがとう」の声を掛け合っての感動的な最期となった。また気丈夫らしく、トイレは最期まで自分でといい張り、転んで顔に痣が出来ていたが、わがスタッフの名人芸に達したエンゼルメイクで、晴れ晴れとした実にきれいな死顔であった。前日に、オレンジを所望されて、実に気持ちよく飲み込まれたのが、こちら側の満足である。

 朝ドラ仕立てにしてもいいくらいの人生であったことは間違いない。(K)

 


「かあさんの家」

  南国・宮崎県宮崎市の話である。近所の民家を借り上げて、看取りの家に仕立てあげた。有料老人ホームとか、サービス付き高齢者住宅とかではなく、いわば下宿人をおくという感じである。「かあさんの家」と呼んで、それが現在4軒となっている。7年間で38人を看取っているのだが、リーダーの市原美穂さんは必要にせまれてやってきたこと。基準とか制度を待っていたら、とてもできなかったろう。また行政もグレー部分には明確に指示しません。むしろ、後向きのアドバイスとなります。待ったなしでやるしかないのです。

 政策が急激に病院、施設から在宅へと舵を切りながら、その受け皿をまったく用意していないことが問題であり、これをいけないというなら、誰が、どこが、引き受けるのかと意に介さない。ほぼ5人を定員にして、介護スタッフ5~6人が365日24時間見守る。「かあさんの家」のいいところは、身動きする物音や小さな呼び声、寝息、匂いを感じとりながら、それを察してケアができること。もちろん在宅医、訪問看護師などが随時入ってサポートをしてくれる。みんな外付けだから、誰でも、どこでもできるのだ。

 「ご遺体がどういう状態であるかが、介護者の通信簿です」と妙に記憶に残る。これを持続可能なシステムにしていくのがポイントで、家賃や食事で85,000円、その他生活支援費で4万~6万円、その他に医療費、介護費の自己負担が加わることになる。これが限界であり、収支はトントンで、営利事業としてはまったく成り立たないという。「かあさんの家のつくり方」という本を出版して、いろんな地域で挑戦してほしいと呼びかけている。お会いしたのは東京で行われたケアワーカー集会だったが、47年生まれというのに溌剌40代に見えた。(K)


満足死ー食べること

 在宅ホスピスの宿命ともいえるが、もう少し生きてもらえれば、こんなこともしてあげることができたのにと悔しい思いをすることが多い。しかし、昭和6年生まれで、81歳のKおばあさんはちょっと違う。食べることの貪欲さは人並みはずれで強かったが、その食欲の8割は満たして逝かれたのではないかと思われる。

 「あーうまかった。満足満足」という声が聞こえそうだった。亡くなる2日前まで、寿司、ラーメン、餅、せんべい、スナック菓子と食べ、妹さんに催促した黒豆汁をおいしそうに啜った。消化器の病気で誤嚥の危険性があり控えなければならないのだが、本人はあれが食べたい、これが食べたいと小さい声だがはっきりと口に出す。病院ではないので、本人が希望されて、家族も承知であれば、いいでしょうとなったのだが、娘さん2人もそうだが、親戚の多くの方がそれぞれの思いを込めて口に運んであげた。看護師は吸痰に苦労したが、これほどうれしい表情を見ると、苦労には思えなくなる。「ものがたりの郷」での語り草になる死に方になるのは間違いない。

 思えば、人類が誕生したのは180年前のアフリカ、恐らく木の実ぐらいしか食べていなかったのだと思う。それがいまや70億の人口である。食べ物がその地その地で開発され、生産されたからこそ命を紡ぎあえてこれたのである。そう思うと食べることをもっと厳粛に考えなければならない。辺見庸という作家が書いた「もの食う人びと」を昔に読んだことがあるが、アジアの貧民窟で、食べ残しのご飯を食べて、必死に吐き出している一節があったのを思い出した。食中毒を覚悟で食べ、多くの命が落とされて、今日の食物が出来あがっていることも時に思い出さなければならない。介護の中心に「食べる」をおくべ期だと思う。(K)


除雪の地域自治

 ものがたり診療所庄東は、砺波市街地から庄川を東に超えたところにある。川向こうで雪が深い。火曜、金曜の午後の診療だが、除雪は欠かせない。汗を流すしかないか、それとも行政に特別に頼もうか、と思い悩んでいたが、早目に出かけるといつも除雪されている。砺波市もやってくれるな、と思っていたら、こんな仕組みで除雪がなされていた。

 除雪機2台が砺波市から東般若地区に貸与され、オペレーターはこの地域に5~6人いて、地区が独自に判断して、除雪している。重機のオペレーター免許も砺波市が希望者に免許取得費用を負担し、実際に運転してもらった時は、手当てを払っている。というわけで、診療所はこの地域の公共施設となっており、当然除雪の対象とされているのである。公道、私道も住民で判断している。道路から離れたひとり住まいの老人であれば、これまた当然ということになる。これこそ地域自治の典型といわずに何がいえようか。

 さすれば、医療福祉についてもこれにならって、地域自治が行なわれてもいいのでは、と思われてきた。介護保険はまとめて地域で運用を任せる。制度にとらわれないで、必要な人に、必要な時に、必要な介護を、地域が判断して実施していく。となれば、働くケアワーカーも当然予防重視となり、制度から解放されて、利用者に最も必要とされるケアが提供できると思うのだが、どうだろうか。(k)


「ケアを開く」

 介護保険がスタートしたのは2000年。介護を家族ではなく、社会で担うという大転換で、その期待は大きかった。高齢化社会に立ち向かう切り札ともいわれたが、それから12年が過ぎ、3年に1度の介護報酬改定が続き、今年が4回目だ。1月25日に発表されたのだが、施設介護から在宅介護への誘導がはっきりしてきた。

 しかし、利用者(要介護者)も、介護事業者も腑に落ちないことが多い。膨れ上がる予算を必死に抑制しようという意図が、介護保険の最初の理念を捻じ曲げようとしているように見えるからだ。24時間地域巡回型サービスといっても、そんな人材がすぐに確保できるわけがない。老人保健施設は自立支援を促すものであるから、在宅に戻した率に応じて報酬を高くするというが、重度化した人しか入居していないのが実状で、今更自宅に戻せない。実現不可能な施策を、報酬改定で政策を誘導していく手法は、もう通じなくなっているといっていい。

 大阪大学学長であった哲学者の鷲田清一氏の指摘だが、「ケアを開く」という視点である。そこに立ち返って論じてもいいのではないだろうか。介護保険の基準とか、認可とかで、介護を「世話」であったものを「業務」にして専門職に任せるという事で、やせ細らせているという。人が人の世話をするのは、大抵の場合他の仕事をやりながらするのが、普通のかたちだった。それが保険でやるからといって、規制にがんじがらめにされて、普通の人が世話をしてはいけないということで、追い出されてしまっている。この大きな矛盾にもっと立ち返ってもいいのではないか、というもの。お世話ということなら、地域の出番である。介護を地域で行うとすれば、どうしたらいいのか。介護保険を地域に任せる視点、任せて大丈夫という地域づくりが問われている。(K)


終活

 就活ではない。この終活が、シニア世代にじわりと広がっている。必ず誰にも訪れる死を前向きに準備しようという活動で、葬儀はどうする、墓はどうする、遺言は、などと子供には負担をかけない「死後の自立」を目指している。

 「墓友」なども出現している。「旦那の墓には入りたくないのよ、ねえ一緒に入ってお墓の中でも楽しくやりましょう」また「おひとりさま同士、来世も助け合いましょう」ということらしい。正月には、遺言ノート、エンディングノートを確認したり、書き換えたりすることも世の常識となっている。「明るい遺影写真展」「エンディングドレスのファッションショー」なども行なわれている。

 そして病院も変わり始めた。千葉県にある亀田総合病院、島根県にある松江赤十字病院では、霊安室は見晴らしのいい最上階にある。隠すように、隠れるようにしてきた遺体の搬送も堂々と正面玄関からが主流となってきており、それに出会った人々も自然に頭を下げているのが普通になってきている。

 わが砺波ではまだまだ忌み嫌うというレベルは出ないが、死に対する意識の地殻変動が起きていることは間違いない。どうせ死から逃れられないのなら、在宅で、生活の質を落とさず、与えられた命を楽しんで逝きたい、という人が増えていくのは確実だと思う(K)


「月間看護と介護」

 東京本郷といえば、東京大学のあるところだが、その本郷通りと交叉する春日通りに面して本社を構えるのが医学書院という医学書専門の出版社である。今はどうかわからないが、日本一の給料だった。医学書は部数は少なくても、高価な設定になっていて、その上長く売れ続けるので利益が大きいというのがその頃の定説になっていた。その医学書院が出している月刊誌「訪問看護と介護」の取材を受けたのである。
やってきたのは青木大介君だ。就職活動の難関を突破して入社の28歳である。早口でしゃべり、あれもこれも目一杯に取材し、資料の全て、撮影できるものの全てを撮って行った。その1月号に「ナラティブホームの挑戦」と題した、なんと6ページの特集となって送られてきた。要領よくまとまっている。

 「医療と住宅が一体で支える終末期ケアの物語」を佐藤理事長が、読者に語りかけている構成となっている。1冊購入だと1,365円だが、年間購読は13,200円。いつも思うことだが、日常の作業に追われるばかりだと、視野はどんどん狭くなり、追い込まれていくことが多くなる。ところが、こうして外部の目からこんな風に見られているのかと差し出されると、自分たちの立っている位置も満更ではないと思えてくるから不思議だ。外部の目というのは、内ばかりにこもって、時に不都合なことを隠したがる内向きな姿勢を正してくれる利点もある。忙しい時に取材を申し込まれて、面倒と思うときもあるが、外部からの評価を受けることで、ひとりよがりになることが避けられると思えば、これは積極的に受け入れていくのが組織にとってもいいことだとなる。
ということで、広報も大事にしていきます。

 できれば手にとって読んでみてください。(K)


胃ろう

胃ろう
 言葉の難しさだ。流されるばかりの表現では人を大きく傷つけるということも。自戒しなければならない。朝日新聞の12月19日朝刊「投書欄」は胃ろうの功罪2編を掲載している。
 ひとりは97歳で亡くなった妻のことを話す。誤嚥性肺炎のために胃ろうをつけて2年半。当初はよくしゃべっていたが、だんだん反応がなくなっていった。「経口摂取のリハビリも行なう、改善すれば胃ろうは容易にはずせる」といわれたが、理学療法士のリハビリは週1回で、はかばかしくなく、リハを増やしてほしいといったがかなわなかった。食べることは生きる力につながる。胃ろうを導入するなら、経口食も取れるよう、リハにも力を入れてほしい。そうでないと、空しい時間が残されるだけだ。人として尊厳を守れる医療体制になって欲しい。
 いまひとりは66歳。脳梗塞で嚥下障害を持つ人だが、胃ろうで栄養を取りながら補助として口から飲食し、通常に近い生活を送っている。ところが、胃ろうは延命だけを目的にしているという最近の論調に怒りを覚えてる。確かに胃ろう造設は患者にも苦痛をもたらす。それを苦痛だけをもたらすだけとして否定されたら、死ぬしかない。苦痛に耐えながらも懸命に生き、かすかな希望や喜びも得ていることも忘れてほしくない。胃ろう即延命というのは、酷過ぎる偏った見方である。「人の命はそれほど軽くない」。
 結論は自分はこうしてほしいという意思を、判断能力があるうちに明確にしておくしかない。とはいうもののこれがなかなかに難しい。(K)

 


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